研究内容

本研究室ではヒトの運動システムを解明し,それを応用した新しいシステムに関する研究を行っています。

 人の運動はとても巧みな運動や、早く、力強い運動など、様々な運動ができます。このような運動ができるのは、脳神経系がどのように手足を動かすかを決定し、筋肉を制御することで実現できています。この、ヒトの運動がどのような原理で行なわれているのかを調べるために、現在、様々な観点からの研究が世界中で行なわれています。その一つとして、計算論的神経科学と呼ばれる分野が存在します。脳を調べるためには脳を測ることなどの方法もありますが、計算論的神経科学とは、脳がどのような情報処理メカニズムで働いているかを知るために、ある機能が働いている際の脳と同じ働きを行なう計算機プログラムや機械(ロボットなど)を作れる程度に脳の機能を理解すること、いわば脳を創ることで脳を理解しようという目的で研究を進める、理学(サイエンス)のことをいいます。
 運動制御の情報処理メカニズムを知るためには、まず様々な条件下での人の運動を計測・解析し、その運動の特徴を調べます。そして、なぜその特徴が現れるの仮説を立てます。それを基に、その特徴を再現できるような計算機プログラムを作り、それをシミュレーション、またはロボットに実装して、人と同じような運動が実現できるかを調べる、という手順で研究を進めています。さらに、そこで立てた仮説が、他の運動に応用できるかを調べるために、また条件を変えて運動を計測・解析する、というように発展してきます。さらに、福祉工学への応用や、柔軟に環境に適応できる人に優しい知能ロボットの実現を目指しています。それでは、いくつかの具体的な研究内容を紹介します。


上肢の運動原理の解明

 我々の研究室では特に腕や手指の、上肢の運動に注目し、その巧みな運動を実現している運動原理の解明を目指して研究を行なっています。具体的には手や腕の運動軌道を計測、そして解析し、その運動の特徴を調べます。人の運動は、様々なように思いますが、同じ条件であれば、何度繰り返しても、また、 他の人が行っても、共通である特徴があります。その普遍的な特徴は、おそらく何らかのその理由があって脳がそのような運動を作り出していると考えられています。その計算過程を解明し、動を実現する基本原理の神経計算モデルを構築します。このモデルを使えば、同じ条件を与えれば、手や腕の運動を予測・再現できる訳です。

 運動原理を解明する研究の例として、腕の2点間到達運動というものを取り上げましょう。それでは、マウスを持って、下の青丸の点にカーソルを置いてください。そして、黄色の丸の点へマウスを移動させてください。このように、運動の開始点から目標点まで手先を動かす運動を2点間到達運動と呼びます。この運動はの点に到達すれば良いのですから、色々な軌道が考えられますが、緑の線で表されるような、人はだいたい赤の線のような直線的な運動を行い、緑線で描かれたような遠回りはしません。さらに、そのときの手先位置xの運動時間tに対する変化を調べると、x(t) = a0t5+ a1t4+ a2t3+ a3t2+ a4t+ a5のような、運動時間の5次関数で近似できるような軌道になります。このような運動では、工学的にはリアルタイムに視覚などで自分の手先位置と目標点との誤差を測り、その誤差を基にしたフィードバック制御が行われていると考えるのが普通です。ところが、人の視覚情報処理には時間がかかるため、このようなフィードバック制御では、難しい上に、たとえそのような要素を考慮しなくても、上記のような軌道にはなりません。人が自由意志で行う随意運動の中で、もっとも簡単な運動である2点間到達運動でさえ、その制御の仕組みはまだよく分かっていないのです。

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2点間到達運動

 2点間到達運動のこのような特徴を再現する仮説を、さらに複雑な運動を説明する事に使えるかを、さらに条件を加えた運動を計測・解析することで検証しています。例えば、下に示すような字を書く運動を実行する時にも、同じモデルに新たな条件を付加する事で、再現出来ています。

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身振り運動の認識過程の解明

 人が運動を行うときと、他人の運動を観察することに、関係があることが脳研究の結果から知られています。他人の運動を観察する事とは、見真似による運動学習や、ジェスチャーなどによる意思疎通などにつながります。我々は、他人の運動を認知すする情報処理メカニズムに、上記の項目で説明したような、運動を生成する情報処理メカニズムが関与していると考えています。使う言語が異なっているにも関わらず、ジェスチャーで意思疎通が可能であるのは、誰にでも共通である運動を生成する情報処理メカニズムが使われているからであると考えられます。そこで、このような身振りによる意思伝達の例として、オーケストラの指揮者の腕運動など計測して腕運動の生成モデルを用いて解析し、身振り運動の認識メカニズムのモデルを構築します。さらに、ロボットを用いた見真似運動学習に用います。


上肢の運動原理を用いた手話翻訳システム

 上述の身振り認識のモデルを用いた手話の翻訳システムの開発を行っています。手話は手指だけでなく、腕の運動で表現される単語も多く存在します。そのような単語を表す運動に対して、身振り運動の認識モデルを適用し、下に示した図のように、運動データを少数の離散的な特徴点の情報に圧縮することができます。それを翻訳に用いる事で、効率的で高精度な手話単語の翻訳を実現しています。今後は手指の形状の情報等と組み合わせて、より大規模な手話単語を認識するシステムへの拡張を目指しています。

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「料理」という手話単語運動の計測軌道とモデルによる予測軌道


対象物操作における認知・運動学習メカニズムの解明

 人は対象物を認識して、その結果に基づいて手や腕の運動を計画することにより、様々な運動を巧みに実行しています。目の前にあるコップを取って水を飲む運動を考えてもらえればわかるでしょうか。コップには色々な形や大きさのものがあります。その形を認識した結果、我々はそのコップ自体をつかんで持った方が良いのか、あるいはそのコップに付いている取っ手を持った方が良いのか、さらにはその取っ手の中に何本の指を入れたら良いのかといったことを瞬時に判断し、かつ、コップの中の水をこぼさないように指や腕の運動を計画して実行しているわけです。本研究テーマでは、対象物操作における認知・運動学習メカニズムを運動計測・解析を行なうことにより明らかにします。手の運動は手指運動計測装置により指の開き加減や傾き、曲げ具合などを計測し、腕の運動は3次元位置計測装置を用いて腕の姿勢の計測を行ないます。さらに対象物操作のための認識と運動の統合メカニズムを、ニューラルネットワークモデルを用いてモデル化を行なう研究も行なっています。

運動学習原理の解明

 人が巧みな運動ができる大きな要因は、その柔軟な運動学習能力です。我々は、様々な条件下で新しい運動を学習する事ができますが、そのときに、どのように筋肉を動かしたら良いのか、あるいは、脳が生成する、筋肉に対する運動指令までを教えてもらうことはできません。1つの方法は、自分で試行錯誤しながら学習する方法です。これを「強化学習」と言います。他に、他人のやっている運動を真似る方法もあります。これは「見真似学習」と言います。これらの枠組みで学習をするときの運動の変化を計測・解析することで、運動学習の原理の解明を目指します。さらにこのような学習過程を計算機上で再現し、適当な課題を学習する過程をシミュレーションする、あるいは実ロボットに実装して検証します。


最後に

 ロボットが出てきましたので、ロボット工学なのか?と思われるかもしれませんが、少し違います。例えば、知能ロボットの実現を目指すことにしてみても、普通のロボット工学では例えば歩く、移動する、対象物の操作をするなどの目的があり、それを実現するためには実現可能である限り、どのようなハードウェア、アルゴリズムを使っても構いません。しかし、我々は運動をしている時のヒトの脳の情報処理の原理を知りたくてロボットを「研究の道具」として使っているのです。つまり、我々が考えた理論に従ってロボットを実際に動かしてみることを通して、その理論の正しさを確認しているのです。ですから、それによって得られるロボットの技術は、本来の脳の働きの研究の副産物ということになります。ここが計算論的神経科学の一つの大きな特徴といえます。


実験装置

 人間の運動原理を解明するためには、実際に人間の運動を計測したり、理論をロボットに適応して制御を行う必要があります。ここでは本研究室にある実験装置の代表的なものを紹介します。


OPTOTRAK: 計測対象物に取り付けられた赤外線発光ダイオード(赤外線マーカ)を3台のカメラで正確に追跡し、リアルタイムに3次元の位置データを計測する装置です。非常に精度よく、かつ高い周期で計測する事ができます。ただ、カメラの位置が固定なので、キャリブレーションが簡単である反面、計測できる範囲が限られている事が欠点です。

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OptiTrack:同じく計測対象物に取り付けられたマーカーを複数のカメラで追跡し、3次元位置データをリアルタイムに計測できます。カメラの位置を任意に変えられ、かつマーカー側にはケーブルがないため、より様々な運動を計測できますが、精度、計測周期はやや落ちます。

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Liberty:磁気式の3次元計測装置。ソースから発生している磁界中を移動するマーカーの位置と向きを計測できます。
カメラを使っていないので、オクリュージョンと呼ばれる、計測できない空間は生じないので、任意の運動を計測できますが、精度は落ち、かつ計測環境がかなり限定されます。下の写真のように、CyberGloveという手形状の計測装置と組み合わせて、手話運動の計測などに使います。

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CyberGlove:ベンディングセンサを用いた、手形状の計測装置です.

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筋電計:6チャンネルの筋電計です。運動を行うと筋肉に電気が流れます。それを皮膚表面から測定する装置です。

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pino:運動を制御するモデルを検証するためのヒューマノイド型ロボットです。歩かせるとよく故障したので、台に固定してあり、腕運動の制御や学習モデルの検証に使います。

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